青森県外ヶ浜町蟹田には、日本最古の遺跡「大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)」があります。
初めて発掘エリアを見たのですが、「何もない」というのが正直な感想です。
ガイドさんに大平山元遺跡の外と館内の説明を受けて、何もない理由がわかりました!
ガイドさんに聞いた話をまとめます。
時代は紀元前13,000年頃
大平山元遺跡は三内丸山遺跡と比べると、昔の居住地やお墓のような建造物がないのは旧石器時代だからです。
縄文時代の初期の時代で、当時は数人の家族がテントのような簡単な家を建てて住んでいました。
現地に定住するのではなく、寒くなったら南へ移動、暑くなったら北へ移動という移民生活だったので、三内丸山遺跡のような柱などが見つかっていないのです。
当時の蟹田は、今よりも気温が5℃低かったようです。
遺跡が見つかったのは小範囲
大平山元遺跡は一目で見渡せるほど、とても小さな範囲です。
住民が暮らしていた場所は小高くなっていて、周囲は川が流れていたそうです。
遺跡発掘の場所に立ってみるとわかりますが、遺跡施設のむーもん館や周囲の道路、家は1段低くなっていました。
現在と山や海の位置は変わらず、遺跡が見つかった場所以外は川や草原があったといわれています。
住んでいたのはひと家族のみ
遺跡発掘の数などから、当時大平山元遺跡に住んでいたのはひと家族のみ。しかも3〜4人程度の少人数です。
氷河期が終わってすぐの時代なので、三内丸山遺跡のようにたくさんの家族が集まって暮らしていません。
移住しながら少しずつ人数も増えて行くことで、家を建てたり寒さ対策をしたりなど、みんなで協力しながらひとつの場所に定住するようになったと考えられます。
当時の暮らしを再現した映像が、大平山元遺跡の発掘現場で見られます。
ガイドさんによるタブレット、または現地にあるQRコードを読み取るとスマホからも閲覧できます。
基本的な暮らしは、石器作りや狩り、料理を作るなどです。
移動は北東北と北海道のみ
全国各地からたくさんの遺跡が発掘されていますが、大平山元遺跡の形状などから移動したのは北東北と北海道のみといわれています。
南東北の遺跡は、北東北と形状などが少し違うようです。
人によって石器の作り方などは違うので、遺跡の形か、どこへ移動したのかがわかるのは面白いですね。
北海道には丸太をくり抜いて造った船で、天気が良く風もない日を狙って海を漕いで渡ったようです。
津軽海峡を手漕ぎで渡る。想像を絶するツラさです。
きっと当時の人たちは、筋肉がムキムキだったと想像します。
今から50年前に中学生が遺跡発掘!
移動は歩き、狩りに成功しないと食料ゼロという過酷な暮らしから13,000年後、当時使っていた石斧を中学生の男子が発見!
大平山元遺跡は5年前まで民家が建っていました。
旧石器時代の石斧を見つけたのは、ごぼうやネギを栽培していた畑。家に住んでいた中学生が偶然見つけた謎の大きな石。
中学校の先生に見せたところ、珍しい形だったので県立郷土館に鑑定をお願い
↓
三内丸山遺跡よりも前の時代の遺跡と判明!
↓
発掘地の隣家との空き地から、数個の遺跡発掘
という流れで、大平山元遺跡ができました。
恐らく数ヶ月しか滞在してなかったと思うエリアで見つかった遺跡たち。
弓矢に使われていた石刃などは、地上から50センチほど下から見つかったそうです。
遺跡は、整備されている大平山元遺跡のほか、大きな道路を挟んだ側もエリアです。(赤くて大きな鳥居が目印)
資料館「む〜もん館」でより詳しく学べる
遺跡発掘地に隣接した資料館「む〜もん館」では、大平山元遺跡についてわかる資料がいくつも展示されていました。
レプリカですが発掘された神子紫型石斧の展示があり、想像よりも大きくてびっくりしました!
他にも遺跡発掘から現在までの様子、当時使っていた石包丁など、資料館自体は小さいのですが、情報がたくさん詰まった施設でしたよ。
お土産コーナーがあり、む〜もん館限定の玉子とうふが売られていました!
具材が通常の3倍!サイズも若干大きくて、玉子とうふ好きにはおすすめのお土産ですよ。
他にもオリジナル限定土産がたくさん並んでいたので、チェックしてみてください!
大平山元遺跡のむ~もん館限定のガチャもありました!
住所 | 〒030-1307 青森県東津軽郡外ヶ浜町蟹田大平山元 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
定休日 | 毎週月曜日(祝日等の場合はその翌日)、12/29~1/3は臨時休業あり |
駐車場 | あり |
入場料 | あり ※大学生以下は無料 ※「学生という名前がつく人は無料」とガイドさんがお話していました。 |
公式サイト | https://www.town.sotogahama.lg.jp/bunka/bunka/shiryoukan.html |