![五所川原立佞武多](https://aomori-daibouken.com/wp-content/uploads/2024/07/DSC_1301-647x1024.jpg)
ビルよりも高い立佞武多を見た瞬間驚きが走る!
どうやって制作したのか…と、驚きを隠せない青森三大ねぶた祭りのひとつが「五所川原立佞武多」。
初めて見た人たちは「おぉぉっ!!」と声にならない言葉が出ること間違いなしです。立佞武多を真下から見ると、全貌を把握できないので少し離れた場所から見るのがポイントです。
![五所川原立佞武多](https://aomori-daibouken.com/wp-content/uploads/2024/07/DSC_1289-817x1024.jpg)
囃子に合わせて「ヤッテマレ、ヤッテマレ~」の掛け声は、テンポが早めなので青森ねぶた祭りのような心が騒ぎ出す(津軽弁でいえば「じゃわめぐ」)気持ちになりますよ。
五所川原の立佞武多は、大型と小型のたちねぶたが運行しているので、違った雰囲気を楽しめます。
立佞武多の読み方は「たちねぷた」
平成8年に、巨大ねぷたを復活させようと市民有志が一致団結し「立佞武多(たちねぷた)」と命名されました。
立佞武多の歴史
五所川原の立佞武多は大正時代に電気が普及し電線が通り高さが制限されたことと、戦争が始まった事により規模が縮小されました。
また戦争の大火により設計図も無くなり、大型のねぷたが無くなっていきました。
・明治から大正にかけて山車(ねぷた)が出陣
・大きさで競い合うようになり高さ30mの山車もあった
・大正時代に電気の普及で電線が街中に張り巡る
・ねぷたの高さ制限があり小型化
・戦争とともにお祭りも縮小
・戦時中と戦後に2度の火事でねぷたの資料がほぼ焼失
・昭和時代にねぷたが復活!巨大ねぷたの登場はあらず
・昭和末期から平成にかけて経済や少子高齢化などで再び縮小
そして、平成5年、巨大ねぷたの題材の設計図が見つかり話題へ!
大型ねぷたの山車祭りをおこなっていた当時の五所川原市を題材にした劇で、高さ7mの巨大ねぷたが登場しました。このことがきっかけで、劇に関わったスタッフなどが巨大ねぷたに対する思いが大きく変化。
ついに、平成8年に高さ16mのねぷたが復活!
一世紀ぶりに復活した巨大な立佞武多が展示され、五所川原市内外から多くの人たちが訪れました。
その翌年、平成10年に東京ドームで開催される「活彩あおもり大祭典」にたちねぶたの展示以来を青森県が依頼。このイベント参加がきっかけで、平成10年から五所川原立佞武多は青森祭りのひとつとして毎年運行しています。
詳しくは公式サイトに掲載されています。
https://tachineputa-official.jp/file/2024shutsujinnitteitorekishi_2.pdf立佞武多の大きさ
五所川原市の立佞武多は、高さが23m、重さは16トンのとても大きなねぶたです。
ビルに表すと、7階建てに相当するそうです!
青森市のねぶたは3Dの人形型山車、弘前市は平面の扇型の山車。五所川原市のねぶたはどちらかといえば青森市の人形型山車ですが、まったく同じ形ではありません。
夜になると立佞武多に光が灯り、ビルなどの建物の間から顔をのぞかせながら練り歩く姿に、初めて見た人は驚きを隠せませんよ。
大型の立佞武多は数台と少ないのですが、16トンもある巨大な山車をすべて人の力のみで動かしています。
とにかく巨大な立佞武多、その姿を見るだけではなく曳き手によって動かす姿も圧巻ですよ。